湾岸戦争・損失補填・ソ連崩壊!1991年当時のことを振り返る!

2020年の11月の日経平均は1991年以来の高値となりました。

しかし昭和の株屋としては感慨深いものがありますね。ご存知のように株価が大天井を打ったのは1989年の大納会。 翌90年はバブル崩壊が始まりリーマンショックがダブルで来たような凄まじいい下げ相場でした。

91年も下げましたが90年に比べれば知れていましたが・・

せっかくの機会でございます。1991年当時のことを振り返ってみたいと思います!

 

1991年はどんな年だったのか?

1991年に起きたことですけどもちろんいろいろあったと思いますが、相場に大きな影響があったのはこの3つじゃないかと思います。

  • 湾岸戦争
  • レッドマンデー~ソ連が崩壊
  • 大手証券による損失補填

まず湾岸戦争ですが、当然ながらおっさん世代なら覚えておられると思います。クウェートに侵攻したイラクと多国籍軍との戦争ですね。

ちょうど日本時間の寄り前だったかな?それくらいに開戦しました。でも少し下げただけで悪材料出尽くしで逆に上昇しました。

 

それからソ連の崩壊ですね。崩壊したのは年末ですが、その前にクーデター未遂が起きて世界中の株価が下落しました。ちょうど月曜日だったのでブラックマンデーにかけてレッドマンデーと言われるようになりましたけどね。

何が起きているのか判断つかなかったですからね。ブラックマンデーとは別ですが、それなりに恐怖は感じました。

 

あと大手証券による損失補填が明るみになった年です。実際にはもっと前からやってたことですけどね。

あの時は参りました。わしがいたような会社ではそもそも損失補填するような力はありません。

でも客に「俺も補填しろ」と散々言われましたからね。何で他所の会社が起こした不祥事で関係ないわしらが苦労せなあかんのや、と思ったものです。

あまりに文句言われるのでわしは自分から客に話すようにしました。「野村以下大手はホントに屑ですね」とかね。

しかし業界トップの企業の歴代の社長が逮捕されたり事情聴取されたりする業界は証券界ぐらいのものかも知れません。さすがに今はこんなことはないとは思いたいですけどね。

 

1991年当時のわしは・・

91年と言うとわしが親や親せきの口座で本格的に手張りを始めた頃です。 店頭株(今で言う新興)が賑わったので上手く乗れればバブル崩壊期でもそれなりに儲かりました。

わしも知れてはいますが儲かって、毎晩のように蝶よ花よと飲み歩いておりました。 車も一時期はソアラとロードスターの二台持ちでしたからね。

 

一時は本気で「株屋はタネ銭だけ残して宵越しの金を持たないのが理想」とか「金なんて相場にいくらでも落ちとる」とか本気で思ってました。 こういうヤツを阿呆と言います。

でもその後どうなったか想像付きますね。 ソアラを売ってマイティボーイと言う軽のピックアップとロードスターになりました。

 

それとこんなことやってると、営業成績も落ち込む一方でした。またバブルも本格的に崩壊して酷い相場が続き、客とのトラブルもしょっしゅう。 それなのに会社の営業方針はアホみたいに投信を売れ売れ言うだけ。

それでもその後、3~4年は我慢しましたが、1995年ごろには自分の資金も半分以下になり一旦相場からも撤退し、会社も辞めることにしました。そして相場にももう一生、手を出さないでおこうとその時は思いました。

 

わしのTwitterのフォロワーさんの中には現役の証券マンの方も何人かいますけどね。 株を買うのは良いですが、やはり会社のルールに従った方が良いと思いますよ。

自分の金でやりだすとそっちが優先になりますからね。 客からの電話も心の中で「うるさい、わしは今相場やっとんじゃ」とか思いますからね。

 

最後に・・

しかし1991年だとまだ生まれていないフォロワーさんもいますよね。 生まれていても物心ついてないとかね。

わしらも昔、飛び込みやってるとジジイに「わしゃお前が生まれる前から株やっとるぞ」とか言われたものです。 「スターリン暴落の時は・・」とかつまらんなーと思いながら聞いてましたけどね。

いかん、あの頃のジジイと同じことをわしがやっとるやないか。 昔話も大概にしないとね。

ただ言えるのは、ソロスが言ったとされる「まずは生き残れ。儲けは後からついてくる」もどうか分かりませんよ。 わしに説教したジジイどももとても金持ちに見えませんでしたからね。