今も昔も株式市場には、多かれ少なかれきな怪しげな人間が集まってくるものでございます。巨額な金が動く世界ですからそれも当然かも知れません。
その昔の80年代~バブル期にも兜町の風雲児や相場師と言われた男たちがいました。また今も昔も存在するのが仕手筋と言われる集団です!
ただ兜町の風雲児と言われるような人はもう出て来ないかも知れません。そこでわしの記憶を頼りに80年代~バブル期の相場師や有名&大物仕手筋のことを振り返ってみたいと思います。
ただ何分、わしのボケた頭の中の記憶ですからね。少々、違っている部分はあるかも知れませんので予めお断りしておきます。
兜町の風雲児と言えばこの二人!
兜町の風雲児と言うと誰になるのでしょうか?まあそう何人もいないと思いますが、まず思い浮かぶのが元誠備グループ総帥の加藤あきら氏でしょうか。
それからほぼ同じ時期に派手に活動していた中江滋樹ですよね!他にもいたかも知れませんがここではこの二人を取り上げます。
加藤あきら氏について
加藤あきら氏が派手に活躍というか活動していたのは1980年代前半ですね。職を転々としたのち当時あった黒川木徳証券の歩合外務員になります。
そして仕手の本尊としていろいろな銘柄を手掛けます。最後の相場師と言われた是川銀蔵氏とも派手な仕手戦を繰り広げたりもしたはずです。
ただわしもその頃はまだ大学生ですのであまり覚えておりません。
ですので加藤氏の全盛期はあまり知らないですが、わしが証券マンになった1985年以降でも加藤氏や誠備グループはよく話題になっていました。と言うか他の仕手筋などが加藤氏や誠備グループの名前を騙っていたんでしょうね。
「誠備グループの残党が買っている」とか「誠備グループが再結集したらしい」と言ったような噂が流れたりしました。
そういった影響力などから考えてもやはり加藤氏は不世出の相場師と言えるかも知れません。ただ法に触れるようなやり方をしてはいけませんよね。ご本人は結構高い志を持っておられたのかも知れませんが。
その加藤あきら氏も2016年の12月に死去されました。どうあれご冥福をお祈りしたいと思います。
ただ最近も株価操縦で逮捕されていましたよね。奥さんや息子さんなど家族ぐるみでやっていたそうですが、その公判中にお亡くなりなられたと言うことです。
追記
2022年の4月に加藤氏の元側近を名乗る方が「伝説の相場師の教え」と言う本を出版されました。私も早速読んでみましたが、どこまでホントか分かりません。でも興味深い本ではあると思います。
中江滋樹氏について
中江滋樹氏は加藤あきら氏とほぼ同時期か少し後になりますが、同じく兜町の風雲児と言われていました。当時のアイドルと一緒に写った写真が週刊誌にも取り上げられたりしたので個人的には中江滋樹氏の方が印象に残っています。
中江氏は小学生の頃から株を始めたと言われていますね。そして10代後半の頃には大儲けして億単位の生活をしていたとのこと。
その後、投資ジャーナルを設立して株式情報関連の雑誌を発行してそうです。ですが会員から金を集め580億円の現金を詐取した投資ジャーナル事件を起こし逮捕されました。
ただ加藤氏と違ってその後は相場の表舞台に立つようなことはなかった?ように思います。
2017.1.15 追記
週刊新潮に中江氏が加藤氏のことを語った記事が掲載されるとのこと。この記事によれば加藤氏とは深い付き合いというか絆があったようですね。加藤氏が出所した後には中江氏が1億円渡したそうですし、中江氏が出所後には逆に加藤氏が3000万円用意したそうです。
中江氏が出所したのはバブル崩壊後ですから加藤氏もきつかったのではないか、と言うことで加藤氏に深く感謝しているそうです。ただ株に対する考え方は違って一緒に仕事はしたことはなかったそうですけどね。
2020.2.27 追記
中江氏が2020年の2月に亡くなられました。 住んでいたアパートが火事になって、見つかった遺体が中江氏だと判明したとのこと。寝たばこが原因で火事になったようです。
若い方は当然ながら「誰やそれ」でしょうが・・ 10代から億単位の生活をしていたのに最後は家賃48000円の六畳一間のアパートで生活保護とはねえ。
投資ジャーナル事件の当時は元妻と逃亡生活していたとwikiにありますが、やはり金の切れ目が縁の切れ目なんでしょうね。お子さんとかもいなかったのかな?いずれにしても侘しいですな。
それと中江氏に限らず相場の世界で一世を風靡しても終わりを全うするのは難しいのでしょうか。
バブル期の有名・大物仕手筋
それから80年代後半からのバブル期には他にも有名な仕手筋が多数存在しておりました。
コーリン産業の小谷氏、麻布自動車の渡辺氏、コスモポリタン、高山物産、新興の仕手筋ではイ・アイ・イの高橋氏などを記憶しています。
他にも大分のサーキット、オートポリスを作った日本トライトラスト、F1ドライバーの鈴木亜久里さんのスポンサーでもありF1のラルースを買収したエスポの伊東氏、同じくF1のレイトンハウスのオーナーだった赤城興産なんかも仕手筋だったはずです。
まあこういった会社は言ってみれば地上げ屋のようなものです。この時期は大手の地上げ屋=株もやっているという感じでしたからね。
それとバブル期の仕手筋の皆さんはレースがお好きなようでございます。モータースポーツ好きのわしにとってはサポートして下さってありがたかったです。お礼を申し上げたいですな。ただどうせならもう少し頑張って、亜久里さんなど日本人ドライバーを応援して欲しかったですが。
また仕手筋や地上げ屋ではなかったかも知れませんが、他にもブラバムのミドルブリッジ、アロウズを買収したフットワークなど当時は日本人、日本企業のF1オーナーがたくさんいましたね。
このことだけを見ても、いかにバブル期が異常だったかわかりますね。
あと仕手筋とは違いますが、大阪で料亭を経営していた尾上縫さんと言う方もいました。巨額の資金を株で運用していましたが、でもその資金は不正融資で得たものでした。結局、逮捕されてしまいましたけどね。
相場師・仕手筋のその後は?
しかしこういった仕手筋と言われた会社、組織、人物できれいに終わりを全うした方っているんでしょうかね。たいていの方は逮捕されたり結局破産されたりしているように思います。前述の尾上縫さんもそうですしね。
逮捕や破産だけならいいですが、コスモポリタンの池田氏などはいまだに行方不明らしいですからね。おそらくは口にするのも恐ろしい結末を迎えているのでしょう。やはり無理に相場を作ってはバチが当たると言うことでしょうか。
最もこれは仕手筋ではなくて、相場師と言われるような方でも同じかも知れません。最後の相場師と言われた是川銀蔵氏でも最後は多額の借金を残したそうですからね。しかし是銀さんでも最後を全う出来なかったとはねえ。やはり相場とはそういうものなのでしょうか・・
ただこれは相場に限ったことではないかも知れません。事業の世界でも会社の10年生存率は3%程度ですからね。また戦後の高度成長期を引っ張った、ダイエーの中内功氏も最後はいまいちでしたからね。
それと世の中は一人勝ち出来ないように出来ているのかも知れませんね。
まとめ
今回は兜町の風雲児と言われた男たち、バブル期の相場師、仕手筋についてをわしの記憶を頼りに振り返ってみました!
いずれにしても相場の世界でも事業の世界でも、きちんと終わりを全うしてキレイに終わるのは難しいようでございます。
となると相場は目立たず細々とやるぐらいでちょうどいいかも知れません。やはり儲けることよりも相場で損しない、生き残ることを第一に考えるべきですね。そして生き残れば自然と少しは利益もついてくるはずですからね。
最もわしの場合、心配しなくても巨額な資金を運用出来るような身分になれるとは思えません。ですのであまり心配しなくてもよさそうですね。もちろん一度は大きな資金を動かして、相場を張ってみたいと言う気持ちはありますが、それは夢のまた夢でございます。
ただ多少なりとも潤ったとしたら感謝の気持ちだけは忘れないようにしたいです。