東京証券取引所の場立ちだった頃の話!銘柄のサインとその後は?

その昔、証券取引所には場立ちと言う人たちがいました。

もうかなり前にいなくなりましたが何を隠そうこのわしも短い間ですが場立ちの経験者です。

そこで今回は場立ちの仕事内容、場立ちがいた頃の取引所、サイン、その後はどうなったかなどについて経験者の立場から語ってみたいと思います!

もしかした場立ちに興味がある方もいるかも知れません。そういう方のお役には立てると思います!

実栄証券のその後についてはこちら!

 

場立ちの仕事と当時の東京証券取引所

わしは80年代の半ばにこの業界に就職しました。ちょうどバブルの前期の頃ですね。

そしてその当時、短い間でしたが場立ちとして東京証券取引所の立ち合い場に行っていた時期があります。

当時でも大半の銘柄はシステム売買でしたが商いの多い250銘柄だけは昔ながらのやり方で立ち合い場で売買されてましたからね。

立ち合い場で取引される銘柄を立ち合い銘柄とか手振り銘柄、それ以外をシステム銘柄と言ってましたね。

ただ250銘柄だけと言っても出来高が上位の銘柄ですからね。商いをこなすにはかなりの人が必要です。そのため立会場には東京証券取引所の正会員の各証券会社の社員が大勢働いておりました。

各証券会社の注文の付き合わせをしていた才取会員の実栄証券の社員や東証の職員などかつては1万人ぐらいいたそうですが、わしがいた当時でも約4000人ぐらいはいたと思います。

4000人でも結構な数ですよね。そしてその大半は各証券会社の社員が場立ちですね。

 

場立ちの仕事は顧客からの注文やサインで受けた注文の執行が中心ですが、その他にも板の状況や他社の大口注文をサインで知らせたりもします。

日本取引所グループのyoutubeの公式チャンネルにも場立ちがいた頃の動画がアップされていますがこの動画を見れば当時の立会場の雰囲気が分かると思います。

また場立ちの仕事も大体は理解できるのではないでしょうか。

1985年と言うとちょうどバブルが始まった頃ですね。わしがいた会社の人間は映っていないですが、知っている顔はいくつもありました。

こちらは1989年の映像ですが、すでに一部がシステム化されていますね。この頃にはもうわしは営業やってましたので知らないです。場立ちの数もかなり減っていますね。

 

あと個人的に思い出深いのは4階(だったはず)にあったそば屋です。これがなかなか美味しくてよく食べたものです。もちろんそばだけでなくうどんやコーヒー、ジュースもありましたけどね。パンとかもあったのかな?

朝方、時間がある時にはかけそばやもりそば、昼時にはそばランチ?セット?があってそれをよく食べておりました。

懐かしいですね。

 

場立ちと言えばサイン

場立ちと言うと多くの方がサインを思い浮かべるのではないでしょうか。

と言うかサイン場立ちの代名詞ですよね。ひと昔前のニュースなどで放映される証券取引所の映像は、ほぼ例外なく場立ちサインを出している場面でしたからね。

サインは知らない人から見れば難しそうとか凄いと思うかも知れません。

でも別に難しくもなくアホでも出来ます。確かに全銘柄を立ち合い場で売買していた頃なら各銘柄のサインを覚えるのも一苦労だったかも知れません。

でもわしらの頃は250銘柄だけですからね。それに数字のサインはセリとかでも使われる物と同じだったようですし、各銘柄のサインも規則性がありましたからね。

 

あと助平な意味のサインも多かったです。有名なのはカルピスでしょうね。どんなサインかは男性なら想像が付くかも知れません。

シンボルをしごくような感じのサインです。そのカルピスも今は上場していませんね。あのサインも遠い昔のこととなったようです。

と言うことで場立ちサインは別に難しくはないと思います。それにサインを覚えたにしても他で全く役に立ちませんからね。

とは言え場立ちに限ったことではないですが、完璧に覚えて使いこなすにはそれなりの時間は必要ですけどね。

 

場立ちの仕事は面白いのか?

どんな仕事でもそうですが、好き嫌いもあれば合う合わないもありますからね。

ですので場立ちタイプと言うような人間もいました。そういう人間にとっては立ち合い場はパラダイスだったでしょうね。「ここから転勤になったら会社を辞める」と言っていた奴もいましたからね。

でも逆に合わない人間もいます。そういう人間は「こんなのやってられるか」と思うのではないでしょうか。何を隠そう、わしもそうでございました。

とにかく場立ちが嫌で嫌でたまりませんでした。「わざわざ名古屋から出て来て何が楽しくてこんなことをしなきゃならんのだ」と思っていましたからね。

嫌だった理由の大半はこちらに書きましたが。

 

と言うことでわしは営業を希望して、約2年弱で取引所から去ることになりました。当時はこれでここから抜け出せると思うとうれしくて仕方なかったです。でもそれも間違いだったと気づくのに時間はかかりませんでしたが。

ただNTTの上場やブラックマンデーの時に立ち合い場の中にいたというのは今となっては良い?思い出と言うか、印象的なことではあったと思います。

 

場立ちがいたのはいつまで?その後は?

その後、立ち合い銘柄も250から150に減少し、1999年には全銘柄システム売買へと移行します。

当然ながら立ち合い場も閉鎖され、場立ちもいなくなりました。シンボルとして残すという話もあったみたいですけどさすがに難しかったでしょうな。

ただ場立ちをしていたおっさんたちはどうなったんですかね。営業が出来る人間や、ディーラーとしての腕があればいいですけどね。

でもそういう人間は少数派だったと思います。事実、わしがいた会社でも場立ちから営業に行った人間はほとんど続きませんでした。

でもどこの会社でも似たようなものだったと思います。ですので場立ち経験者でその後の証券業界で生き残れた人は少ないかも知れません。

「場立ちをやると相場観が鋭くなる」とか「場に入ったことがある人間にしか分からないことがある」などとも言われていましたが、そんなことはありませんからね。

結果として多くの場立ちは証券界から去っていったと思います。と言うかバブル崩壊の頃には場立ちに限らず自主的に去って行く人が多かったでしょうね。

 

まとめ

今回は証券取引所にかつて存在した場立ちを紹介してみました!

思えば場立ちの経験者も少なくなったでしょうね。最低でも40代ではないでしょうか。わしは個人的にはあまり良い思い出や印象はないですが、それでも懐かしくはありますね。

それから当時の上司には勉強する機会、環境を与えてもらい、それなりに良くして頂きました。今から思えば本当にありがたかったです。

少々嫌でも3年~5年程度のことですから我慢すれば良かったんですけどね。それにあのまま東京で証券マンをやっていれば・・という思いもないわけではありません。

少なくともわしの人生もこんな惨めなものではなかったはずです。

それを思うとねえ。後悔先に立たずとはこのことですな。