かつて日本の証券業界には四大証券と言われる野村証券、大和証券、日興証券、そして山一證券が君臨しておりました。
ですがこのうち山一證券だけは破綻し自主廃業してしまいました。
そのあたりのことはドラマ「しんがり~山一證券最後の聖戦」やその原作の「しんがり~山一證券最後の12人」に詳しく描かれています。
もう山一證券が破綻・自主廃業してから20年以上の月日が流れましたがまさに「兵どものが夢の跡」でございます。
ただ四大証券の中で何故山一證券だけ破綻したのでしょうか?その原因が気になりますよね!
それと山一證券のその後がどうなったかについても調べてみましたのでアップしたいと思います!
実話?ドラマ「しんがり~山一證券の最後の聖戦」の感想と評価!
ドラマ「しんがり」の原作の感想としんがりメンバーのその後は?
山一證券が破綻したのいつ?
山一證券の経営が破綻して自主廃業を発表したのは1997年11月24日です。ニュースやワイドショーで当時の野澤社長の記者会見が繰り返し流れていましたよね。
野澤社長が「社員は悪くありませんから!」と涙ながらに訴えたのは強く印象に残っています。
わしが某中堅証券の社員だったのは1995年までです。
ですので1997年の頃はもう証券マンではありませんでした。最初の商売に失敗し、世をはかなんで悶々としながらバイト暮らしをしておりました。
そのため山一證券破たんのニュースを見た時には溜飲が下がる思いが致しました。もっとストレートに言うならザマーミロでございます。他の大手もつぶれればいいのにとも。
証券会社の営業のやり方にほとほと嫌気がさして辞めたわけですからね。ただそれはそれとしていち企業の破綻を喜ぶのは良いことではありませんね。
反省しなければなりません。
山一證券が破綻した原因は?
それと山一が自主廃業を決定したと聞いてやっぱりかい!とも思いました。
バブル崩壊してから銀行がつぶれるとか四大証券の1つが無くなるとか言う話はずっと言われて来ましたからね。そりゃ四大証券の中でつぶれるとしたら山一證券ですよね。事実、昭和40年不況の時には1度つぶれかけてますしね。
実際に私が業界にいた時にも何度か山一證券倒産と言う噂は何度も流れていました。山一證券がそれを否定するコメントを出した時もあったはずです。
当時はさすがに大丈夫だろうとは思っていましたが、火のないところに煙は立たないと言うのはよく言ったものですね。
破綻した原因ですが、簡単に言えばニギリと言われる利回り保証を繰り返し、それがバブルの崩壊とともにどうにもならなくなって巨額の簿外債務になってしまったと言うことですね。
そのあたりは「しんがり~山一證券最後の12人」に詳しいですが、それによりますとかなり前から簿外債務の付け替えは行われていたようです。逆に言えばよく1997年まで持ちましたね。
ただニギリは当時の他の大手や準大手証券ならどこでもやっていたはずです。なぜ山一證券だけ破綻したのか?とも思います。準大手証券では三洋証券が倒産しましたけどね。
まあ単純に言えばそれだけの体力がなかった、と言うことなんでしょう。でも当時の大蔵省の方針次第でどうにでもなったような気もしますけどね。
裏事情と言うかスケープゴートみたいな存在が必要だったのかも知れません。それが山一証券と拓銀だったと言うことでしょうか。
山一證券のその後はどうなった?
その後山一證券は自主廃業ではなく、結局は自己破産を選択したとのことです。それもあってか清算に手間取りすべて終了したのは2005年まで長引いてしまい、ここで完全に消滅しました。
社員のその後は?
社員のかなりの部分はメリルリンチが日本でのリテール業務に参入するために設立したメリルリンチ日本証券に引き継がれたはずです。店舗も大多数を引き継いだんじゃないですかね。
また当時の四大証券はそれぞれ子会社や系列の証券会社を持っていました。わしがいた中堅証券会社は日興証券系列でしたが、役員や部長、支店長クラスまで数は多くないですが日興出身の方がいましたからね。
ですので山一の系列の証券会社に移籍した方も多かったのではないでしょうか。それに腐っても四大証券の一角だった山一證券ですからね。そこで営業マンとしてそこそこやって来た方なら転職は難しくなかったと思います。
もちろん年齢にもよるでしょうが、それでも「しんがり~山一證券最後の12人」を読むとしんがりメンバーも無事に転職されていますね。そのあたりはさすがです。
ですので退職金がなくなったり、従業員持株会で山一の株をたくさん持っていた方は紙くずになってしまいましたが再就職出来ずに路頭に迷うような方は少なかったと思います。
山一證券の本社ビルは?
それから旧山一證券本社ビルも当時話題になってましたね。21階建ての立派なビルでございます。
しかし巨額の簿外負債を抱えながらこんな見栄を張っていてはいけませんな。最も「株屋の増改築は売り」と言う格言もありますからね。この山一がこのビルを建てた時点で売っておけば儲かりましたね。
それはさておきこのビルは現在、茅場町タワーと言う名前になっています。普通にオフィスビルと高層部はマンションとして運営されています。
最後に・・
今回は山一證券の自主廃業を取り上げてみました!
わしらのような中高年から見るとついこの間の事のような気がしますが、もう遠い昔のことになりつつあるようです。ただある意味、バブル崩壊の象徴のような出来事でもあったと思います。
しかしいち企業の自主廃業なり倒産が本になったりドラマになったりすることってあまりないですよね。やはり日本の経済史上に残ると出来事だったと言うことでしょう。
ただリーマンショックもそうですが、この手のことは起きて欲しくないですね。でもそれは資本主義経済である以上、ある程度は避けられないことかも知れません。