「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
この格言を耳にしたことがある方は多いと思います。葉隠の有名な格言ですよね。
わしが大学3年の時だったと思いますが、この格言が葉隠が出典だと知って、興味が沸いて読んでみることにしました。
で、読んだのは三島由紀夫の葉隠入門です。
三島由紀夫は葉隠を常に手元に置いて、ヒマがあれば読み返していたようです。まあ彼の生涯を見ればそれも分かりますよね。ただわしはそこまでは感銘を受けなかったですね。正直、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」ほどのインパクトのある格言は少ないですからね。
とは言えわしは自分のことを、現代に生きる武士と自負しております。その原点は葉隠なのかも知れません。
それと葉隠の精神は株のトレードをする上でもプラスになりますし、相場の格言にもなると思います。
そこで今回は相場の格言という面からみた葉隠について、個人的な感想を記事にしてみました。
葉隠とは何か?
まず葉隠についてです。
葉隠は鍋島藩士だった山本常朝というおっさんが語ったことを、まだ若い武士が書き写したものだそうです。鍋島藩でも最初はそれほど評価されなかったようですが、徐々に広く読まれるようになり鍋島論語とも言われるようになったそうです。
幕末の時に、鍋島藩が薩長土肥と言われるまでの力を付けたのは、教育熱心だったからとも言われていますよね。その基礎になったのが葉隠なのでしょうか。それと長州と言い薩摩と言い独自の教育システムを持っていたり教育熱心な所は強いですね。やはり教育は大事です。
まあこんなおっさんになってから気が付いても手遅れですが。
それから葉隠の代名詞と言うか最も有名な言葉は「死ぬ事と見付けたり」ですよね。ただこの部分だけがクローズアップされているだけで、その後に続く言葉を見れと大分、イメージは変わります。別に死に急ぐことを推奨している分けではないですからね。
そりゃ殿様側から見ればこの部分だけクローズアップした方が都合が良いとも言えますよね。残念ながら太平洋戦争の時にも良くない方に利用されたのではないでしょうか。「死ぬ事と見付けたり」と言う言葉通りに死に急いでしまった方もいるかも知れません。
相場の格言・相場に対する心構えとしての葉隠
先日、久しぶりに葉隠を思い出して改めて有名な格言を読んでみました。
その時思ったのは、相場にも通じるというか当てはまるなあと言うことです。もちろん相場で負けていちいち死んでいては命がいくつあっても足りません。この場合の死ぬ事=ロスカットですね。
有名な死ぬ事と見付けたりの次には「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。」と続きます。
相場に当てはめれば迷った時、思惑が外れた時には躊躇なくロスカットすると言うことですね。で、ロスカットした後には別に仔細なし。胸すわって進むなりでございます。
何のことはない、堂々と突き進むだけですね。
さらにもう少し後には「我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。」という一節もあります。まさにその通りですね。この一節は本当に耳が痛かったです。わしも人間ですから出来れば損などしたくはありません。そのため知らず知らずのうちに、屁理屈をこねて持ち越す理由を作ることが多いです。
もちろん相場ですからね。この先どうなるかは分かりません。持ち越したことが正解の場合もあるでしょう。逆にロスカットせずにさらに深みにはまることもあります。
でもどうあれ当てが外れた場合は「図に外れて生きたらば、腰抜けなり。」でございます。
これは当てが外れても生き続けたら腰抜けと言うことですが、当てが外れてもロスカットせずに持ち続けたら腰抜けと捉えることができますよね。
まとめ
と言うことで今回は、相場の格言と言う面からみた葉隠について、個人的な感想をアップさせて頂きました。
わし個人は有名な「死ぬことと見つけたり」は相場の格言としても使えると思いますけどね。
ただわしも現代に生きる武士を気取るのであれば、好きの方に理を付けるのはやめて、図に外れて生きないように心がけようと思います。
そして常に葉隠の格言忘れずに相場に挑もうと思います。そうすれば相場の成績も上がるかも知れません。
最も武士と相場は本来、相容れないものかも知れないですけどね。それと実際に出来るかどうかは別ですが。